その日暮らし

 仕事を退職してから1年半が過ぎた。

 貯金も底をつき、現在は派遣アルバイトをしながら生活をしている。大学時代、サブプライムローンの破綻とリーマンショックによる景気悪化が大きな話題となっており、多くの派遣労働者が契約を切られるというニュースも毎日のように報道されていた。

 当時社会学部に所属していたこともあり、大学の講義でも派遣切りの問題をテーマになぜこのような事態になったのか、構造的な問題、働く人の問題、カッコつけて社会学的にいうと、法則構造論的アプローチ・主体中心的アプローチ両面から学んでいた。

 この問題の概要はさておき、私はなんとなく「将来の俺だな」と心に思いながら講義を受けていた。

 それは今、現実となっている。

 とりあえずは、なんとか生きようと思う

 そのときなぜそんな風に思ったのか。それは今でもよくわからない。ただ、以前の職場でも同じように感じる出来事があった。

 会社と同じビルにレストランも入っており、そのレストランの外には食料を廃棄する大きなダストボックスがあるのだが、それを漁りにくるホームレスが問題になっていた。特に同僚の女性社員は「汚い」といつも顔を歪ませ嫌悪感を滲ませていた。

 私は「将来の俺だな」と心で思い、なぜその人がホームレスになったのか、どんな人生を送ってきたのか、そんなことが非常に気になった。

 

 いつもそう思って生きてきたが、今まさにそんな暮らしの一歩手前まできている。

 

 とりあえずは、なんとか生きようと思う。

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『Rush』のアルバム『Moving Pictures』より - 『Limelight』について

 カナダのロックバンド『Rush』が好きでよく聞いていた時期がある。

『40男のバージンロード』という映画(日本では劇場未公開)で主人公が『Rush』の『Tom Sawyer』という曲を婚約者に聴かせるシーンがあり、私はその場面で初めてこのバンドを知った。

 この映画ではバンドの本人達がLiveシーンで登場しており、単純にかっこいいなと思った。

 さっそく映画でも使用された曲が収録されている『Moving Pictures』というアルバムを借りて聴いた。

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Rush - Moving Pictures

 見知らぬ人を前に、長年待ちわびた友人かのように振舞うことはできない

 このアルバムは40年を超えるバンドの歴史のなかでもファンの間で名盤とされているもで、名曲揃いだ。

 4曲目に収録されている『Limelight』にこんな歌詞がある。

 

"i can't pretend a stranger is a long awaited friend"

"見知らぬ人を前に、長年待ちわびた友人かのように振舞うことはできない"

 

 この曲は『Limelight』という題名にあるように、脚光を浴びて生きていくことの疎外感や辛さについての曲だと解釈できる。ただしこれは芸能やエンターテイメントの世界で生きる人だけでなく、この世界に生きるすべての人に普遍的に当てはまるものになっている。

 特に上記の詩は、ごく普通に生きてきた当時の私にも深く共感できる詩として心に響いた。

 人間誰しもがそれぞれのステージでその空間のコードを上手く読み、なんとか生きている。そのことに対する生き辛さは個人差はあれ、全く感じたことがないという人は少ないだろう。

 自分がこれまで言語化できなかった感情を、詩や本で教わることは多い。この曲の詩もそういうものであり、当時の私(おそらく2010年ごろ)には深く突き刺さった。

映画『さようなら、コダクローム』

 5月1日火曜日、TBSラジオ赤江珠緒たまむすび』で町山さんが映画『さようなら、コダクローム』を紹介していた。早速鑑賞。とても良い映画だった。

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※画像出典:Netflix

 紹介の時点から映画のクライマックスは想像でき、展開も概ね予想通りのものであった。長年相容れなかった父子が旅を通じて次第に心を通わせていく。めくるめく展開があるような映画ではない。それでもこういう映画は好きだ。特に心に響いた場面がある。

 彼は確かに父を憎んでいた。それでも仕事を投げ打ってまで怒りという感情を抑えることが出来なかったのはなぜか。

 憎いはずの父(エド・ハリス)が仕事上重要な相手から嘲笑されたとき、主人公のジェイソン・サダイキスが静かに怒りをあらわにする。うまくいきかけていた仕事は失敗し、結果的には職を失う。

 彼は確かに父を憎んでいた。それでも仕事を投げ打ってまで怒りという感情を抑えることが出来なかったのはなぜか。

 私は主人公が父に対するアガペーという感情を心の奥底に持っていたからではないかと思う。この感情は普段意識することはめったになくとも、本当に大事な場面で表面化することがある。恋人や友人にではなく、普段意識することが少ない家族間に実は多く見られるのではないか。事故や震災があったときに真っ先に頭に思い浮かべる人は誰か。

 長年父について考えることなど無く、むしろ憎んでいると思っていた人にでさえこういう感情があったことを主人公は知る。非常に重要な場面であったと思う。

 ところで、父(エド・ハリス)の看護師役に私の世代だとドラマ『フルハウス』で有名なオルセン姉妹エリザベス・オルセンが出演している。薄化粧でメディアで見る印象と違ったのではじめは気が付かなかった。

 強く自立した女性という印象で、とてもよかった。

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「20代は何をしていましたか」

 あと数か月で30歳。

 「20代は何をしていましたか」

 他人に「20代は何をしていましたか」と聞かれてもどう答えたらよいのか分からない。大学ではなんとなく語学や社会学について学ぼうと考えていた。しかし明確な目標を持てなかった事によるものが大きいと思うが、結局今に残るような財産を築くことはできなかった。勉学以外においても環境に能動的に順応していくことを拒否したため、人脈も何もない。遊んですらいない。

 学校を卒業し就職した後も、社会で学んだことなど些細なことに過ぎず、自分自身に自信が持てることは何もない。

 では本当にこの10年間でしてきたことは何も無いのかというと、よくよく考えると一つだけ人よりも多くしてきたのではないかということがある。「悩む」ということである。人よりも多くしてきたというのは言い過ぎかもしれない。ただし「人並みに悩んで生きてきましたか」と聞かれれば唯一自信を持って「はい」と答えることができる。

 学生時代、学校生活に何の興味も持てなかったことから授業には出ず図書館で本を読んだり映画を観て過ごすことが多くなっていった。10代の頃は教養に触れる機会がほとんどなかったので、そういったものから得る知識や教養は自分の空っぽの頭にはとても新鮮で刺激的だった。好きな作家や映画評論家のトークショーにも足を運んだ。

 知識が少しずつ増えたことで、自分自身のことや社会問題について考えることも多くなった。そして、悩んだ。

 10年間、悩み続けた。その結果、30代を目前として未だに今の自分に何も誇れるものがない。

 自分に必要なものは何か。

 「書を捨てよ、町へ出よう」。今こそ、そのときだ。

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